こんにちは!

うさヘルです。

 

今日は熊野の旅三日目の後半、那智の滝について書いてみたいと思います。

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青岸渡寺から北に視線を向けると、山と森の切れ間にゆらゆらと姿を変えるものを確認できる。那智の大滝だ。直線距離にすれば目算500メートルほどの距離だが、たどり着くためにはグネグネとねじ曲がった山道を歩く必要がある。二倍から三倍の距離を歩く覚悟が必要だろう。辛いが頑張ろう。

 

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道の途中には三重塔があった。こちらは外人たちに人気のようで、自撮り棒を使ってパシャパシャと写真を撮っている人たちや、入口付近を丹念に調べて声を上げている白人が多い。

 

僕は正直、このような造りの塔は京都や日光などで見慣れているので、彼らがいなければ、写真を通らず素通りしていただろう程には、興味がわかなかった。けれど、異国の地から来訪した彼らからすれば、いかにもエキゾチックジャパン、という感じがして興奮するのだろう。彼らのよう、声を上げて騒げたら面白く感じるかもしれないと思ったが、その気持ちより恥ずかしさが勝ってやめた。

 

あたりのことを気にせず楽しむ姿勢を、いつかは身につけたいと思う。

 

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滝へと通ずるグネグネ道を進んでいると、ひどく古びた石段を見つけた。階段の紹介をしている立て板を見ると、鎌倉時代に作られたものだということがわかる。近道となっていて、ここを通れば200~300メートルはショートカット出来ることも書かれている。僕は悩んだ。

 

階段は薄くてらてらと水気に濡れているうえ、ひどく角度が急なうえ、階段の幅も小さい。大門坂からここまで駆け上がり、休んだとはいえ服も変えずにいるので、あまり体力を回復しきれていない。負けず劣らず頭の方も疲れていて、少し興奮気味だ。

 

雨の日の石段は、平坦で滑らないアスファルトと違い、石の地面は弧を描くようにして滑らかだ。気を抜くとすぐに足を持っていかれそうになる。先ほどまでのなだらかな斜面と違い、この石段は急斜面、且つ、尖った部分があちらこちらにある。踏み外せば、万が一の事態が起こる可能性は高いかもしれない。けれど、ここを通れば5分程度の時間消費と体力消耗を回避できる。少し逡巡したが、結局誘惑に負けて、そこを通ることにした。

 

慎重に一歩ずつ踏み出しながら段を下っていると、道半ばのところで、大門坂近くの夫婦杉と似た樹木の通路にさしかかる。つるっとしていて苔の生えてない石段と違い、頭上に高く伸びる樹木の根本表面は、ごつごつとしていて苔むしている。この杉も鎌倉時代から存在したのだろうか。

 

古くから変わらずにあり続け、千年たった今も仲良くあり続ける。なんとも羨ましいことだ。うちの両親にも見習ってほしい仲睦まじさだ。たった十分の一の期間でもいいから、仲のいいところを見せてほしいと思う。

 

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急な階段を下りきり、舗装された人工的な階段を下ると、飛瀧神社に到着だ。神社前は広場として切り開かれており、また、バスターミナルと駐車場、停留所も兼ねている。そのためか、バックパックを携えた軽装の外国人観光客や、バスツアー参加者の老人方で那智の中で一番賑いがあった。

 

バスの時間を確認すると、たっぷり一時間はある。どうやら先ほど出たばかりのようだ。これでゆっくりと見て回れる、と思う反面、一時間も見て回るところはあるのだろうかと不安に思う。

 

考えていても仕方がない。ともあれまずは参拝だ。

 

 

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頭を下げて広場前の鳥居を通る。先ほどまでと違い、こちらは不思議と水気がない。おかげで軽い足取りで境内を進めた。瀧をご本尊としているから、神が水気を鎮めていると考えるのかもしれない。

 

などと、ロマンチックな妄想を巡らせながら境内をまっすぐ下ってゆくと、一分もしないうちに目的地に着いた。那智の滝だ。途端むわっとした感覚が肌を通り抜けた。前言撤回、やはりここは、水を祀る場所だ。鎮めることなんて、出来ていない。

 

滝は半ばほどより水がわかれ、飛沫が地面を叩いている。これだけ近ければその音があたりに反響しうるさいものだが、この場所は不思議と静かだった。心が落ち着く。

 

滝を正面にした時、中央から少し左にずれた場所に鳥居が設置されている。那智の滝を正面から拝観するための処置だろう。この鳥居からさらに左に行くと社務所があり、また、拝観料を払えば滝にもっと近づくことが可能だ。百円払えば、お神酒代わりに滝の水を、神水として盃に頂戴することもできる。

 

せっかくなので頂いたが、生ぬるい。よくよく考えると、生水なのでいろんな菌も怖いと飲んだ後に思った。延命の水と但し書きに記されていたが、飲んで生き残れれば確かに胃腸が強くなり長命が叶うだろう。周りの誰かに勧められたとしても、僕はもう一度飲みたいとは思わない。

 

ひとしきりお参りをすませた後、境内を出て参道を戻り、広場へ。三十分ほど時間をつぶしたのち、バスに乗って那智の滝を後にする。これで熊野三社巡りは終わりだ。

 

帰りの電車の中、思いふけっていると、子供が大声で叫び、暴れているのに、親は無視して談笑している場面に遭遇した。迷惑だ、とはっきり言ってやると、静かになった。以前の僕なら、自分が我慢すればいいことだと考えて、無視を決め込んでいただろう。少しは変われたという事だろうか。

 

熊野はいい場所だ。旅路の中で、山と海、その両方が広がる風景を楽しむことができる。その気になれば、かつて昔の人が行ったように、登山をするもできる。僕の場合、やり遂げることで、前と違う自分に変わることも出来た。

 

でもまだ行ったことのない場所、見たことのない行事がたくさんある。機会を作って、また行こうと思う。その際には、また変わることができるのだろうか。楽しみだ。